What I have been hungry for are these!I can't take meat and fish to Finland,
but can take seaweed, takuan, a kitchen wrap with sharp cutter, and Sake for sauna.
「日本の逆びっくり特集」⇒
4日間のみ帰国して明日また出発。私は現地にあるもので全く大丈夫なタイプだが、一番飢えてたのは霜降り牛肉だったかもしれない。魚も、全くなぜ、こんなに種類があるんだろう。本当に日本の食はすごい。フィンランドと比べてるのでなく、フランスあたりと比べても凄いな。こんなところで写真撮ってしまう変な日本人。フィンランドでは要らなかったワンピース系や読み終わった本詰めてきたスーツケースが空っぽ状態なので、大根で埋める?大根は生ものか。では沢庵?
フィンランドの日常から慣れた光景から見て、久しぶりの日本でエーーっと感じたことのメモです。一番凄かったのは、
◯エンタメや観光場所が山のようにある日本。
楽しい国です。これでは勉強に向かう暇ってない。Finだと学生さんらほぼパソコン手に持ってプロジェクトで話し合っていたり、moodleかmoocsの宿題に向かってる。遊ぶ場所があまり無いし、レストランは若者には高すぎる。週末は家に呼び合って小さなパーティ。でも平日は結構家に直行。ユバスキュラ大学だと、ほぼ100パーセントの確率でみる光景だ。Finの学生には日本のファンが多くて、日本は楽しいらしい。良く日本に遊びに行ってる。
楽しいことは良いことだが、【勉学に向かうように、生徒や学生を、社会が応援しているとは言えない】と感じる。少しご批判を覚悟で書き記すと、【日本の若者の学習時間は、あまり実質稼働していない・・・暗記と模倣、テストのための準備であふれてしまい、大事な青春の時期に、創造やコラボの時間が取られている。面白くなにので、ついていけずにあきらめてしまった若者は、ゲームやエンタメに耽り、全く勉強しなくても良い環境になっている。加えて大人も二つに分かれてしまっている。】
◯あっちこっちで人に聞いたり教わったり出来る日本。
無人の駅はあまりないので、生きて帰れないかも知れないみたいな不安が全くない。周りに頼って生きていけてしまう。皆話せば友達になれそうな、同一民族どうしに近い社会だと感じる。これは一見温かい社会なのだが・・。だけど孤独が問題になる社会でもある。どこかに属しているべき「自分」・・みたいなことが随分大事になる。学食で「ぼっちごはん」とかいうのも、1人なん?を、おかしいと思う社会の傾向だろう。学生さんらはたいてい何人かでわいわい歩いている。人間はそもそも1人やで、と思うが。Finは南欧系の留学生以外は割と一人か二人で歩ている。Finだと、周りに聞く人が少ないし、駅には人はいないし、ネット繋いで自分で調べ、帰りのバスもネットが頼りで、どうやって帰るかまで調べておかないと、バスもタクシーも来なくて、凍えるかもしれない。デパートの売り場にはほぼ人がいないので、サイズは自分で探す。レジにやっと人が居る。風邪をひいて病院にいっても数時間待ちか、別の日になるので、自分の体を鍛え自分で治すしかない(または、私立の病院にいくか)。ーこれは、また聞き。私は病院にまだ行ったことがない。
大学でも「宿題なんだったっけ?」というやりとりはゼロでそんなことは、webで把握が当たり前なのだ。時間割からテスト方法まで(テストはないので、パフォーマンスがどういうルーブリックで評価されるかを、小学生から自分で意識させている)「自分のことは自分で」ーが小学校から徹底している。5分前には講義室に座っているFinの学生。これはすごい、誰も遅刻しないようにと言ってなくても座っている。遅れてくるのは南欧系の一部ぐらいで、南欧の人もFinに合わせて習慣を変えている。日本人は時間にきっちりしているがそれは社会人で、学生はこうはなっていない。宿題もMoodleで出すので各自進めている。出さなければ落ちるだけの話である。WEBでの問い合わせは100%返信が来るのがFinで助かるが、向こうの仕事のリズムがHolidayだと、3日~2週間ぐらい待つ。自分で解決した方が早い。何でもパソコンなので、ハプニング時はかなり不安。私が外国人だからそうなのかも知れないが、でも、非常に自立して生きてかないと、という覚悟が出来ているのがFin. 対応してくれないからと、文句は言わないし、言うところがない状況だ。一方、何から何まで要求に対応している日本の社会では、働き方改革はどんどん難しくなる。学校はもっともその現象で、もちろん「生徒のためにはやった方が良いこと」で満載。でも出来ることは限りがあって無理なのだ。
【「その仕事」「その対応」は本当に必要か?と問いかける】ことが大事です。大学でも「余分な仕事をカットする専門部署」が必要だ。そうでないと際限なく互いに忙しくなる。
◯TVをつけると、20時間体制で番組があり、バーチャル社会を見て自分もそこに居るかのように安心できる日本。
これは、日本以外の国ではなかなか無い。TV制作に凄いお金がかかっている。私の施設には、当然だが、すべてお金がかかり、公は警察署の施設も公立学校もどん底になっている。生涯学習施設や移民の教育も、費用は全然安くない。
ゴーン氏の国際報道をみていると、ゴーン氏より日本の公的施設の意外性が話題になりそうだ。昨日ある民放が日本の海外のフランスか何かのゴーン氏の報道状況を一瞬、中継したのだが、びっくりしたことに、3秒で、カットされていた。(あれは操作か? フランスのキャスターが映って一言も中継されない前に切られた)。日本の拘置所のことが海外で報道されると、税金払っているのに、どーして、日本人は政府に文句言わないの?デモクラシーじゃなかったっけ? と思っておられる様子。ほんとに。沖縄の基地もだいぶ変らしい。Queenを演じたミュージシャンは協力しても日本のSingerはなかなか、国内の忖度状況から相当な覚悟が要る。ミュージシャン以外も同じく。そのあたりのお金のかけ方と教育への予算のかけ方が、雲泥の差に見えて、公私逆転状況が悲しいという思いを改めて持つ・・どうしても教育予算が、全体レベルから、陥没しているとしか思えない日本。「楽しみ」「相談すればすぐ解決」という快適さを、国民レベルで少し我慢してでも、仕事の時短、教育や福祉に回すべきだが、そういう仕組みが存在しない。)。
ただし、そんな環境なのに教育内容は決して陥没してない・・・ここの凄さをもっと皆で応援しないと。今、音もなく急降下中という意識をと。税金を学校予算に使ってもらわないと、貴方の子供や孫が直接損害をこうむります。文句を言う先は目の前の学校ではなく、自治体とその上である。
TVで紅白でユーミンが・・・という話題が日本全体で共有できるというが、Finではこれは無い。1~2本やっている漫画ぐらいかな。だれがどの番組を見るかはばらばらで、そもそもあまり見ない。番組表は、パラパラと飛んだ時間でしかない。日本のエンタメはアニメも番組も素晴らしい。ドキュメンタリーなどの取材も素晴らしい。しかし、日本では、今のようにGovenmentが操作する時代の危惧がでてくると、TVによって簡単に民意が操作されないか今後は心配。
〇自分で余分な仕事を創り出してしまう日本
JALの飛行機が、FinAirと連携なのだが、ほかの飛行機ではやらないことのオンパレードである。何度も流れるアナウンス(現地は寒いので気を付けてくださいとか、遅延のお詫びを何回も)。これは安眠を妨げるし、余分な仕事だ。フィンランド人の機長さんがしかたなく、英語でもフィンランド語でも日本語に合わせていたが、かなり面倒そうに話しておられた。または、一部すっ飛ばして。それはそうでしょう。必要ないアナウンスなので。離陸直前には忘れ物(黒いジャケット忘れた人がいます。と4回放送があり、ジャケット持ってフライトアテンダントが歩いていました)。これは他の国にはない。忘れるのは【自己責任】である。到着してないと気づいたら寒いのはわかるが、それにとことん対応する日本の国際社会での(「おもてなし」という名のもと、文句を言われないための余計な仕事)異質感は、実は、ビジネスでも「商談」「交渉」にも響いている。海外営業の娘も時折嘆いている。そのせいで、Paper Workが凄く増えたり、時間がかかったり、契約がなくなったりし、値段も競争できないほど高い。挙句の果てに、仕事量が多いのを、社員の時間外労働で帳尻を合わせる。この現象は、てんこ盛りの小中学校とも共通だ。「国が」「政府が」という文句も言いたいが、日本の国民が、次世代のためにどうすればよいのかということを論じていかないと、グローバルで貢献できる日本にはならないと思う。(グローバルで たたかえる?⇒この闘うというのは、もうやめないと・・・いったい誰と戦うのか、勝ったら何か良いことでもあるのか、不明です)。
まだあるが、また今度に。もちろん日本の良いところもたくさんあります!また、お世話になっているフィンランド社会(なんといっても博士も研究所も大学授業料無償ですから感謝です)問題はたくさんあるが、今はあまり書けない。だけど生きにくい社会に自分たちでしてはいけないと強く感じる。次世代のためにもっと生きやすい日本社会を残したいものだ。