メモ程度ですが、備忘録としてアップしております。資料から加味したことについて、現場指導経験の長い教授からも話を聞いて繋いでいます。
(よく把握されている方で私の理解に間違いがあれば、是非ご指摘ください)
教育学部に入る関門(フィンランド)
フィンランドで教師になるにはまず、教育学部の教員養成学科に入学。教員になりたい人は、全国統一の筆記試験がある。
筆記試験の内容は、教育5分野の専門書を読んで基本事項のチェックとテーマのあるエッセイを書く。(つまり高校修了時)約8000人の志願者が3000人に。次に各大学で、コース別(小学校担任か、中学以上の教科担任)で、筆記試験。が行われて千人程度まで絞られる。個人面接とグループディスカッションで数人の試験官が独自に採点した結果を集計し数百人の合格者を決める。入試倍率は13倍ということだ。(年号によって違うので注意)
毎年行われる教育実習(別に追加)
1年生の時から毎年、理論と実践を往復する教育実習があり教育現場で子供に触れながら教育学を学ぶ。私が訪問する小学校でも、1年中実習生が来ていて、学生らは疑問点を解決するために、いつでも依頼してきていると言っていた。最初は生徒の観察、教師の観察からはじまり、3回生ぐらいからは指定の授業を持つ。担任からすぐフィードバックを受ける。校長や大学教員と一緒にラウンドテーブルを持つ。(これに一度参加させていただいたが、あくまで、頭ごなしでなく、なぜそうするかと、考えさせていく。)フィンランドの先生は本当に良い点を褒めるのがうまい。訪問した本学大教の学生らにも同じように熱心なフィードバックをしてくれる。いつ聞いていても、本筋ではない、的外れのような指導はあまり聞くことがない。
最終学年5年生の教育実習は、実際に授業を担当する実習で、期間は1ヶ月が2回。ここでは、修士であるから、自分の研究テーマに沿って、研究型の実習をする。特別な観察ツールを使いこなしデータ分析をしている。そのため、フィランドの先生方は私たちが訪問した時も、わたしたちの質問や、英語の指導案を把握してくれており、さっとできるアンケートも、ささっと目を通し、データも取りながらの研究の姿勢は、よく分かってくださる。教員資格を取った瞬間にはもう、かなりの教育実習を積んでいて、子供への対処もかなり経験している。エラスムスなどで来る海外の留学生の実習も分け隔てはない。ここがまた太っ腹である。必ずその国の文化を実習生らは語る時間がもらえる。任せた以上口出ししない。
現職
教師は3~5年契約(と言われるが、もっと長い人も多い。ここは不確か・・)で、学校が採用する。フィンランドの教師は、若手教員の頃からのスキルが高い。しかし日本のような校内研修的なものが少ないので、現職教員研修は、学校外のものを自分で選んでいく。最近はこの予算が減ってきたのが課題。また自分で選ぶので、まんべんなく研修を受けない。したがって、苦手な分野は苦手なままという傾向はある。ただしICTなどは、必須なので、やらない先生はいない。実際に、本学の教育実習先で、素晴らしい先生がおられ、ICTが高度化(DiDiDiプログラム)するときに、退職を決意されていて驚いた。しかし次の年にいくと、すっかりICTのリーダーになっておられた。年齢は私と変わらない。前に向かう姿勢に感じ入ったことがある。自分で苦手分野や新しい分野は超えていかねばならないと、言われていた。参観がほぼないためオープン授業に馴れていない先生もみかける(中学校)。小学校は学校の作りが、オープンスタイルなので、互いに見えてしまうのでオープン授業に慣れている。
このように教員資格を取るのが難しい。また、資質に問題がある場合は教員は淘汰されていく。というが、実際にはほぼ続けているというのが私の印象(校長先生がおっしゃるには、やはりそれは出来ないそうだ。一生懸命指導して変わらないということあり、1~2回やもおえず・・という話を聞いたことがある。)フィンランドはほぼ公立なので、競争っぽいものではなく、教員の採用は、学校単位で。教師を雇うのは学校で、校長や学校のスタッフと保護者代表が採用委員会を作り、面接を行って教員を雇う。例えばCLILの教師枠を募集したときは、1ポジションに100人が応募して1人決定だったという。その先生の授業を参観させていただいた。学生のCLIL指導から、海外の来客対応・説明、後輩の指導、大学連携を全てこなされている。教師が学校側が求める仕事をしっかりできなければ、せっかく教員資格を取っても仕事がなくなるのだ(という危機感っぽいものが感じられないのだが、使命感を持っているというのが私の実感)。
1995年に大きな教育改革が行われて、学校の裁量権や教師の裁量権が大幅に認められるようになった。日本のように事細かに指導内容を国が決めていたが、最低限達成すべき事だけ決めて、あとは教師それぞれのやり方でやって良いことになった。自分の得意をだしながら、面白い自分のホームページや教材ページを作っている人は多い。また、高学年の先生はずっと高学年というように、固定なので、専門が深められる。毎年違う学年だと、専門を深める暇がないからだそうだ。教科担当も少しやっている。英語の得意な先生は、ほかのクラスも8コマぐらい持つ。そのかわり、違う教科は得意な先生が持つというように校長のマネージメントが有効だ。生徒の評価は、単なる確認テストは少なくエッセイやレポートなどの作文を、ポートフォリオをよくみて、生徒自身の習熟度を評価する。わたしが訪問したところでは、イルマというWEB評価システムを使い、先生は生徒がその日伸びた良いパフォーマンスを、書きこんでおり、個人の保護者がそれをみて、サポートしたり、より良い方法を親子で考える方法になっている。フィンランドは先生も親子も、このWEBシステムをかなりまめにチェックする。早く帰れると一般にいわれるが、帰宅してもこの仕事はやっているようだ。いかに子供の「やる気」を引き出せるかが教師の主な仕事である。不登校や心のケアなど、すべてを担任がしょい込まない。専門家やカウンセラーがしっかり入り込んでおり、分担されている。あれてるクラスは担任の私のせい?などにはらない。教育システム全体が機能していると、そうならない。もっとも15人だと荒れるということはほぼ無く、あまり工夫の詰まった授業をせずとも、ある程度Student-Centeredでファシリテーションを上手くすれば、生徒が自立して学ぶように、前に向けて伸びるように幼稚園から育ててきているので、勉強するのは自分となっている。幼稚園では読み書きはほとんどやらない、絵本を読み聞かせたり、集団のなかでコミュニケーションをとり、自分で考えて行動するということに絞る。読み書きは7歳で入学してからである。ここで一気にリテラシーを高める(母語)・・・ここの溜めについて、反対のことをしてしまっている国は多い。データをもとにタイミングをしっかり待ち、その年齢ですべきことをよく考えている。
フィンランドの場合、教科書の検定制度はないので、教科書はカラフル、ポエムが多い本など色々、子供の興味を引くような内容で、ICT教材は充実している。国の専門家集団(すべての分野にチームがある)が作成するので、見せてもらうとしっかり理論をふまえており、ふらふらしていない。そのまま使えるワークシートも満載だ。これは、指導要領を読んで自分で授業を創れる先生が多いと以前は、思っていたが、実際に足を運んでみると、結構教科書にたよっている。副読本も充実しているので、放課後必死で明日のワークシートを作るということはない。またテストはないので、日本のように業者テストに合わせて、教える進度や濃さを変えたりする必要はまったくない。やる気を引き出し、自律性を育てる、これに徹している。CLILについては知っているが、ことさら頑張らなくても、授業が度の教科も、CLIL的発想で、どのクラスもほぼ3分の2は、生徒主体、グループ学習主体である。あまりスーパーティーチャーの授業だというような凝った授業は少ない。教え方のうまい教師は、契約期間が終わると給料の良い学校に引き抜かれ、やる気のない教師や良くない教師は保護者から校長などに通報があり相談にもなるようだ。(という例は私は実際に見聞きしていない。これはフィンランドと言えども微妙な問題であるから)。国や自治体、企業などが提供する教員向けの研修プログラムは人気になり、また複数の指導資格を持っていると就職に有利なため、大学を卒業後も大学に通い、新たな資格取得を目指す教員も多い。
また、教育学部から修士、博士を目指す人が多く、フィンランドの教授らが、自分の研究を、象牙の塔にしまっておくことなく、スクールに役立つようにプロジェクトを回していくのには、感心する。彼らの仕事ぶりをみていると、インパクトファクターの高い、海外ジャーナルへの採択は、必須であり、またフィンランド国内向けの実践的な内容はフィンランド語でかき、職として全うすべき調査まとめは、別に仕事をしている。実によく働くと思う。朝は8時には研究室に来ている人も多く、(タイムカードなどはない。自主的)。間に現場訪問し、研究会を開き啓蒙し、4時半には帰るが、家族と過ごすためで、WEB対応は、結構自宅からしている。MLの発信時刻からも、結構夜も対応している。ただし土日の発信メールはほぼゼロであるから、こちらも控えている。メールを書いたら、日曜日の夜中を過ぎてからしか発信しないようにしている。フィンランドでは、土曜日と日曜日は完全にOffである。(メール送信は月曜の朝がいいのだろうが、月曜は朝7時になったらバンバンとメールが来ているので、ちょっと間に合わないと困るからです。すみませんと思いながら)。
フィンランドの教師には自由に授業を行える大きな裁量権が与えられるが、仕事のコストパフォーマンスが良くなければ、少しリスクもある。大学教員もIFのある雑誌に論文が無ければFundは取れないし、そこはシビアである。日夜スキルアップしないといけない、そのようなやりがいが、トップダウンで来るのでなく、そういう風に生きたいと思って教職についているという感じである。
このような話や、社会や政治について教員らが敏感であること、デモクラシーを大事にしていること、海外提携などで発展途上国の教育にも貢献していること、等々、湖にせりだすようにある瀟洒なペントハウスの一角で、270度の雪景色を見ながら話を伺いました(迫力!)。
ちょっぴりお給料の話もお聞きしました。物価を考えると、安定していて良かったころの日本の教員より少しだけ良い感じでしょうか。教職は銀行員より人気があると聞きます。教授も日本より少し良い感じでしょうか。しかし、生活感と時間余裕は非常に違うとみていて思います。夏休みはたっぷり2か月、土日は完全に休み。サウナのある森のセカンドハウスでゆっくり過ごしたり、別のFarmを持っていてそこでは養蜂場をやっていたり、大工も出来るとか、色々です。また、3人の子供を持つのは普通です。子育てに全くお金が要らず、大学まで無料ですから、生活が豊かなのはそこで差が出ていると思います。十分にあまるのだと思います。(余ってくるのは40代以降だなと見ていて思います。日本だとそこで学費が大変)。ただ、若手や子育て時代の夫婦は質素に倹約しています。車を持たず、自転車や走っていくことは普通ですし、レストランもあまり行かないそうで、夏の夜長には、芝生でピクニックや森の散歩を楽しんでいます。
ところで、この風呂敷と野点セットは、何度も役に立っています。こちらに来てから時間が経つと、お土産もばらばらになってきます。「これ」というものが尽きてきます。そんなときも、御酒類を風呂敷で包み、ゼラチンと小豆や抹茶があれば、スィーツが作れますし、お茶をたてる・・・なんでどうでしょうか。