The Real British Secondary School Days
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
多様性、ブレィディみかこ氏
先輩からおすすめしてもらった本! 週末に読もう。
イギリスの公立中学に通う一人息子の葛藤と成長を描く。
イギリスを内側から、日本を外から。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
多様性、ブレィディみかこ氏
先輩からおすすめしてもらった本! 週末に読もう。
イギリスの公立中学に通う一人息子の葛藤と成長を描く。
イギリスを内側から、日本を外から。
日本人であることが足を引っ張ることはないにしても、全く何の役にもたたない、異端児として、海外に身をおくという状況を、なかなか、実際には、このようには書けないと思うのだ。海外に長年とか一定期間留学とかは、一般に、楽しそう、いいね、どうだった?となるのだが、「いや、ランチはいつも一人だったし」とか、「おいてけぼりどころか、完全に存在を忘れられていた」とか、いったい誰がいえるだろうか。
これ以後は、この本の感想でもなんでもないが、この本は、自分自身のスペイン滞在の1年目、ストリートで子供をはさんで、心無い差別の(先入観)の一言について、現地の人と言い合ったことや、皆でカフェに行きながら、入っていけなかった会話や、さらにスペイン語がわかるようになってからは、陰口が聞こえてしまうということ、まで、さまざまにおもいだす。よく見ると、スペイン生まれのスペイン人ばかりでなく、ボートピープルとして命からがらアフリカ大陸から渡り行商をしている人や、南米生まれでスペイン語は流暢だが、まるでアクセントが違う人や、我がもの顔で楽しそうにバカンス中のドイツ人の集団を、ちょっと迷惑そうに見やる現地の人や、それはもう多様だった。絶対に交わらない民族どうしもいた。そのだれもが、異国にいるという異端児感覚をもっているのかどうかは、わからないが、日本人はどう考えてもその中でも、大変傷ついているように思うのは、あれは気のせいだったのかどうか。15人ほどもいた日本人からの派遣社員の夫人は、2人をのぞいて、全員語学学校を3日でやめて、自分の世界にこもったし、もう数年住んでいるという社員は社員で、これ以上はもういいんだ。と。語学が?習慣が?コミュニティにはいることが? 現地校に通う高校生は猛勉強につぐ猛勉強ででも追いつけず、精いっぱいだったことや。
そんな経験を3年もしたというのに、それ以後、帰国カルチャーショックで、ひたすら目立たぬように過ごした中学校を経て、高校で娘がカナダに留学した1年、そのころ流行りのブログを書き始めた彼女が、毎日楽しくて躍動的なブログを更新してくれたのが楽しみだった。そうか、もう慣れたんだ・・ロッキー山脈もチームで縦断したというし、写真も楽しそうだと思い込んでた。若いってすごいなあ・・と。しかしそれは大きな間違いであったことに、帰国して数年知らないままであった。自分自身ががスペインで3年もかかって、コミュニティに完全にはいれたとは最後まで思えなかったあの経験を、私はすっかりわすれていたのである。自分の生まれた土地にその土地のマジョリティとして住んでいると、そういう出来事は、すっかり忘れてしまうのだ。
そしてマイノリティの思いにも気づかない。
彼女が大学最後の年に、突然自分のお金で飛び立ち、完全に生き生きとした様子を見たとき、はじめて悟った。あのカナダのブログは、精いっぱいの背伸びだったのだと。たしかにホストは優しく、5頭もいた馬たちや通学路のバッファローたちの写真は、かけがいのない留学の時間であり、カナダの自然であっただろう。だけれども、思春期の17歳のカナダの高校に、異端児が1名入っていっても、そこに居場所はなかったのである。ランチを食べる場所に困ったという。誰かと一緒に食べるのがこうも難しいとは。それもその時は私は気づかなかった。気づいていたってもちろんどうしようもない。そんなことは分かっていたのだろう。望んでいった留学だったから、やりきるしかないのだ。私立のSel
Hiだったので、クラスメートは全員1年を、ばらばらの海外で過ごした。TOEFLの点数は上がったものの、殆どのクラスメートは同じ経験をしたらしいが、そのうちだれ一人、そのことをよもや母親などに言うことはなかったのである。「楽しかったよ」と報告していた。彼女たちの留学がそれでよかったのかは、未だに疑問だが必要な経験だったのだろう。そして、彼女が結婚して、部屋の写真もメモもなにかも整理して捨てる時になって、そのころのブログではなく、したためたノートがあった。そんなノートをもう笑って過ごせるほど、一人旅のメキシコで初めて、多様性と自分のアイデンティティを見つけて、自分が日本に帰国して、海外での経験をどうやっておさめて、周りに合わせるのではなく、自分らしさを持ちながら、日本という社会や周りの人を元気に巻き込みながら、生きていく道が見えたと言っていた。
保育士としてイギリスで生きる作者が、最も多感な中学生の息子の毎日の出来事や感じ方をこのように書いている。その眼からイギリスの学校や社会のことが伝わる。そこに見えるイギリス社会は、決してもう元気ではない。EUから、大陸から少し離れ、日本ほどではないにしても、Isolatedであり、一般のお金持ちではない人々が通う学校の教育改革も遅れに遅れていると言ってしまえば、お叱りを受けるだろう。伝統的なイギリスのファンに。同じように、異端児が日本に留学したら、その色はいったい何色であろうか。