スペイン国滞在 1998-2001(在外教育施設・日本人学校)

ゼロからのスペイン語に、大西洋に浮かぶ島グランカナリア島において30歳代に出会い、3年間でどのようにしてL3を学び得るかという外国語習得経験をしました。当時小学校4年生だった娘Natsukoは、中学校1年生で帰国するまでにフラメンコのバイラオーラとしてジュニアトップをさせていただきながら、いつのまにかスペイン語や、グローバル・フレンドリネス、溢れる好奇心を身につけた貴重な3年間は、第2言語習得論研究への示唆となっています。一方、私は文法の猛勉強もしながらフラメンコ教室やスペイン語料理教室で使ってみるという毎日でした。その後、「気づきがないかぎり言語は習得されない」と論じた R .Shmidtや 「動詞の島仮説」を論じた M.Tomaselloの著書に出会い、自らの経験との共通点に驚き、SLA研究を始めて現在に至っています。

 

海外に留学される研究者や学生は増えていると思います。「英語」を学びに行くことが多いと思いますが、私からのお勧めは、英語は使うが英語圏ではない場合は、その国の言語を中学校1年生レベル(150時間)で良いです、是非ともL3経験をしてみてください。自分かゼロから始めた言語への認知アクセスを自分で感じながら記録してみてください。そのことは教師として、グローバルシチズンとして、広く深い視野を持つことに繋がると思います。

 

(研究記録を整理してここにリンクをしたいと思っておりますが、まだ工事中です)


ゼロからのスペイン語 1998-2001

スペイン滞在中、3年間、帰国の前日まで通った、公立のスペイン語学校の友達です。私の自宅でした、ランチパーティ。モロッコのラチファ、フィンランドのサリ、オランダのエルネ、日本のイズミ、中国のチュイン、フランス、ロシア、時折、集まって楽しい時間でした。恐るべきスピードで学ぶヨーロッパ圏の友達、母国でも秀逸であっただろうアジアの友達、国連関係や、ハイネケンの派遣、政府からの派遣と、もともと勉強は苦にならない彼女たちについていくために、徹夜に近い予習・復習をして、朝は娘をスクールバスに乗せたら、午前中は3時間学校へ。シエスタで回復。一つの言語を使えるようになるのに、3000時間と言われますが、5000時間かけたと思います。日本人の派遣の方は、多くはそのスピードに退学してしまいました。でも、一番大きな原因は、難しいからではなく、この学校では、授業中に自分から発話をし、プレゼンをしないと、テストがゼロ点になってしまうことでした。私は、自分から話のネタをもって真っ先に話さないと落第の危機でした。2番手になれば、ほかの人のスピードにはとてもついていけません。ドラマも映画もすべてスペイン語にしていました。4か月たって、メロドラマのセリフが分かったときには、嬉しかったのを覚えています。接続法や仮定方過去の表現がこなせると、ドラマはだいぶ楽になります。メロドラマは、「もし、彼が~だったら、私は~だったのに)の連続で成り立っています。スペイン語は不規則が少ないので、学んだ分は分かるようになる感じでした。(英語は違っています。発音、リエゾンなど違う壁があります)。日本人社会の友達や娘関係のときは、スクールバスごと、Tea timeにお招きすることもあり、駐在員の奥様達も迎えにくるので人数は20人ぐらいになります。夜は、そのSweetsを作ったりもしていました。日本人社会での時間も貴重で、娘の母語保持もあるので日本語・日本文化は大事です。一日何時間あっても、足りないような日々でした。4月に住み始めて、6月には、車の購入や、不動産の人とスペイン語をなんとか使うということろまで行ったのは、この学校と、家庭教師週1のNativeのおかげです。英語にはまるで縁はなかったのですが、友達との共通語として英語はついででした。ある日のことです。日常会話が出来ても、少しでも複雑になるとまたレベルはグンと上がります。こんなに勉強してもダメだと半年目に泣きたくなって、泣いてしまいました。そのとき隣人の日本人の方が、非常に高い英語レベルを保ち、お子さんを英語で育てていました。吉田研作氏の師事しておられたとのことでした。ご主人が日本語担当です。日本では行列の出来る英語塾を営んでいたという才女でもありました。彼女がこう言いました。「もうね、今でも、何度辞書をひいていることか・・。」とおっしゃり、息子が生まれる前から、もう何年も英語しか使っておられず、日々言葉を磨いておられることが良くわかりました。「でもね。学んでいる途中で、出来ることがあるから。完璧になんてなれないものよ。」と。肩の力をほっと抜けた感じがしました。自分がひよっこのまま、落ち込んでいるに過ぎないと分かりました。1年たつと、新しい派遣社員ががやってきます。どうやって、スペイン語勉強するんですか?と聞いてくださいます。絶対上達したいという方には、徐々にほんとのことを伝えるようにしていましたが、寝る時間を削って勉強はしますとは、なかなか言えないです。逆に言うと、時間もまだ、かけていないのに、出来ない・・という心配はしなくていいわけです。日本では、私は3000時間もかけてなかったのに、英語が出来ないなどと思う必要はなかったなあと、思ったものです。

娘はフラメンコ教室ではベテランの踊り手になった3年目、スペイン人から私にかかってきた電話をとって、流暢なスペイン語で応対しているではありませんか。彼女はスペイン語は無理なのかなあと、ずっと思っていました。聞けるみたいでしたが、話しているのをあまり見ません(SLAではこれをBottle Neckと言います)。でも学校のスペイン語劇は、ヒロインをしていましたが、セリフは丸覚えだと思っていました。スペイン語の時間が1と、図工1はCLILでした。12歳になっていましたから、私は彼女に聞きました。どうやって学んできたの? その答えが、後に研究を始めた、Usage-based Modelの著書に書いてあることと、同じだと分かったのは、帰国して2年後のことでした。大人の猛勉強と、12歳ごろの子供の学び方は、違って当然ですが、ヒントをくれました。2003年にその著書は出版されました(Constructing a Language:Michael Tomasello)。英語で書かれたその本を言語学の先生が薦めてくださり、隅から隅まで読んだことを忘れません。そう、これです。その先生はこのUBMモデルが広がるには日本では10年かかると言われていました。もう2019年です。16年経ちました。言語学会では相当な研究者が増え、英語教育の方は知っている方が増えたものの、一般化しているとは言えません。博士論文の始まりもこの著書で、あれから16年が経ちました。なんとか形になりました。EFLでの実証は出来たと思いますが、応用は今からです。まさかこんなことになるとは夢にも思わず、スペインと語とワインで話しが尽きない時間を過ごした頃の写真です。

 

全力で過ごした3年間がまぶしすぎて、帰国してから数年間はなかなか元の自分には戻れない、そんな日々が続きましたが、SLAに出合ったことが、そういう悶々を随分助けてくれたと思います。学生をみていると長期留学後の彼らの様子が気になります。きっとあの状態だろうと。でもそこを超えるしかないですし、その悶々も、決して無駄ではないのです。なぜ、悶々とするのか、よく見つめて記しておくと良いと思います。(to be continued)